rating:5.05.0
頼朝公挙兵の前から付き従った安達盛長の、屋敷跡です。 畠山重忠や三浦義村の屋敷跡が、鎌倉幕府の近くにあったことを考えると側近の屋敷が少し遠いようにも思えます。 たった1枚の石碑ですが、頼家公が安達景盛の妾を奪い政子が安達邸に駆けつけた事等の舞台になった場所かと思うと夢が膨らみます。
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東海道の石碑
江戸幕府が、現在の東海道を整備する前は鎌倉、走水、浦賀、を経て房総半島に続いていたそうです。 石碑そのものはそんなに古いものでは無さそうですか、古東海道がこの地を通っていたかと思うとワクワクしますね。
rating:4.54.5
盛久頸坐
壇ノ浦てわ破れ捕らえられた平盛久は京都で捕らえられて、鎌倉に送られます。 この場所ででまさに切られようとした時に振り上げた刀が3つに折れたり富士の裾野から盛久の首に光が射す等の不思議な現象が起こり助けられます。 この辺りは刑場跡なんですね。
rating:4.54.5
加賀谷邸
大正時代に造られた洋風建築の中に和の心を感じるハイブリッドな建築物です。 内部に入ることは出来ません。 鎌倉の景観重要建築物に指定されています。
rating:4.04.0
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