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2024.01投稿
Business review media #1
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国道一号をはさんで、精進池の反対側にある巨大な磨崖仏で、鎌倉時代に 彫られたもの。発掘調査を開始した平成四年度には、二子山から崩れてきた 厚さニメートルもの土や石によって岩坐が埋もれていたことがわかったが、 土や石を取り除き、時のままに復元。江戸時代末期の野火によって失われ、 昭和八年に修理が行われたと伝えられている六道地蔵の右手、錫杖、白毫は、 鎌倉時代のものを復元し、これに取り替えた。また、平成六・七年度の 発掘調査によって室町時代後期と想定される屋の建築遺構が発見されたが、 これも復元した。覆屋というのは地蔵堂のことで、杉材を使い、 幅四・五メートル、奥行き七・ーメートル、高さ九・ニメートル、屋根は寄棟で こけら葺きになっている。ちなみに、この堂の正面に座ると、六道地蔵と 目線がぴったり合うようになっている。

2024.01訪問

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rating:3.03.0
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