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2024.01投稿
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当神社は、いにしえ、泉養寺の管理であったこと。 泉養寺(現・市川市国府台)は、深川の開拓者・深川八郎右衛門一族の菩提寺であります。 また、社地が三坪だったので、三坪稲荷と呼ばれていたのを満穂となり、さらに三穂に変えています。三坪の三が関係しているのかも知れません。 満穂稲荷社とは別にあった道別稲荷の創立は「長禄年間(1457-1459)とも伝えられている」とのことですが、昭和40年4月に隣り合わせにあった道別稲荷を合祀しました。町会では毎年4月に富岡八幡宮の神主を呼んでお祓いし、例大祭をおこなっています。 平成24年5月吉日 江東区清澄三丁目北部町会」境内配布由緒書より とのことです。

2024.01訪問

📜 歴史を感じる

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伊東深水誕生の地

伊東深水は、明治31年(1898)2月4日、深川西森下町の深川神明宮門前で生まれました。 本名は一(はじめ)。 深川尋常小学校に入学後、2年生のときに父が失職し、深川の地を離れました。 しかし、深川との縁は深く、明治41年には深川東大工町の東京印刷株式会社(白河4-9)に勤務。 ここで画才が認められ、同44年に日本画家の鏑木清方(かぶらぎきよかた)に入門しました。 深水の雅号(がごう)は、深川の水にちなむもので、清方がつけたものです。 院展、文展で入選するなど高い評価をうけ、大正中ごろには、新版画運動に共鳴、雑誌や新聞小説の挿絵、口絵なども手がけました。 深水は、江戸の浮世絵の伝統を受け継ぎ、女性の美しさを創出する日本画家として、日本の近代美術史に大きな功績を残しました。 その功績から、昭和33年5月には日本芸術院会員になり、同47年5月8日に74歳で没しました。 とのことです。

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深川芭蕉庵跡

この地図の場所がえぐい程違っています。 実際は芭蕉稲荷神社(東京都江東区常盤1丁目3−12)の 境内の中にあります。 かの有名な芭蕉の旧居があったことを示す碑と立て札です。

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萬年橋

東京都の小名木川にかかる橋で第一橋梁である。 江東区道第3124号線を通す。 北岸は江東区常盤一丁目、南岸は江東区清澄一丁目と二丁目を分かつ。 当橋のすぐ西側で小名木川は隅田川と合流、東側には新小名木川水門が設置されている。 とのことでーす。

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