吉田城の背後を流れる豊川沿いを守っていた曲輪に立っていたのが川手櫓です。川側の地形も利用しながら本丸をしっかり守っていたようです。
中村道太は1836年吉田藩に生まれ、のちに丸善となる丸屋商店の社長を経て第八国立銀行を設立、のちに東京米商工会の頭取となった。東三河の産業、経済の発展に寄与した。
吉田城内の本丸跡にあった井戸跡の石碑がありました。戦いの際、曲輪の中で生き延びるのには必需品だったでしょう。
吉田城の北側、豊川方面からの入口にあるのが北御多門跡です。ここから城外へ出るには大変急な石段を降りなければなりません。言いかえれば敵の襲来を防ぐ役割となっていたようです。
830m・ステーキ
204m・イタリアン
970m・ケーキ
787m・ステーキ
568m・和カフェ / 甘味処