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2024.01投稿
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明治期には陶磁器は輸出品として注目され、また技術的にも幕末期以降にヨーロッパから新しい上絵具や顔料が伝わり、新たな絵付の技法が確立しました。 その結果、輸出向け陶磁器を製造する陶磁器工場・陶磁器窯があらわれました。   瓢池園陶磁器工場は、明治6年(1873)、浅草芝崎町の磁器製造所の御用係であった河原徳立が、同所の廃止を機に深川森下町37番地に開いた陶磁器絵付工場です。 瓢池園では納富介次郎の確立した、絵付に松などから採れるテレピン油を使用する納富式を採用し、輸出用コーヒーカップなどを絵付しました。明治29年(1896)に深川東元町へ移転し、のちに愛知県の名古屋に製造拠点を移しました。   旭焼陶磁器窯は、ドイツ人ワグネルが確立した絵付法などによる新しい陶磁器窯です。ワグネルは明治16年(1883)に旧東京大学理学部において釉薬の下に様々な色彩の絵柄を施す研究を開始し、明治19年(1886)に旭焼と称しました。明治23年(1890)には渋沢栄一や浅野総一郎らの出資をうけて深川東元町に旭焼の製造所をつくりましたが、明治30年(1897)には瓢池園と同じように愛知県に移転しました。 平成10年(1998)3月 江東区教育委員会 とのことです。

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